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ファミリーコンピュータ 1983年

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ファミリーコンピュータ (Family Computer) は、昭和58年(1983年)7月

15日に任天堂より発売された家庭用ゲーム機です。当時の販売価格は

価格は14,800円。当時は低性能だが安価なカセットビジョン(エポック社)

が最も普及しており、他には海外製のゲーム機をローカライズした高級機

が流通していた。それらに比べて高スペックでありながら、14800円という

低価格で人気を集めました。その結果、“ファミコンブーム”と呼ばれるよう

な爆発的な大ヒットを飛ばしたのです。その人気は日本のみならず、85~

86年に発売された海外版ファミコン「NES(Nintendo Entertaiment Syste

m)」により、世界規模の社会現象にまで発展しました。世界のビデオゲー

ムの歴史を語る上で、絶対に欠かすことのできない存在となっています。

本体にカセットを差し込むことにより、遊ぶゲームを入れ替えることができ

る。接触が悪いときはカセットに息をフーッと吹きかけたりするのがお約束

だったのを思い出しました。


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1972年 世界初の家庭用ゲーム機 オデッセイ

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オデッセイは世界で初めて発売された家庭用ゲーム機です。
日本では発売されておりません。
米国の家電メーカー・MAGNAVOX(マグナボックス)が開発し、宣伝にはフランク・シナトラまで起用されたそうです。
オデッセイがマグナボックスにライセンス供与される事で一時的にサンダース・アソシオエーツ社も収益を上げましたが、当時の宣伝内容、および人々が家庭用ゲーム機について全く知らなかった事が理由で「マグナボックス社のテレビでなければ遊べない」と思われてしまったそうです。
そのためか、なかなか売れ行きは伸びず、1974年には生産を終了となりました。

世界初が必ずしも売れるとは限らないのです。宣伝の仕方は大事ですね!

コントローラーはジョイスティックでなくパドルコントローラです。一つのコントローラーにパドルが2つあり、上下左右の動きをサポート出来るシステムです。
現在の多くのビデオゲームに付いているボタン類はありません。ゲームの切り替えはスイッチでなくカードを差し込む仕組みでした。

このカードにデータ読み書き機能等はなく、ただ切り替え回線が入っているのみでした。一部のゲームは別売りカードを買わなければ遊べない様になっておりました。

ゲームの切り替えが当時から可能なのは驚きですね!


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ミニカー トミカの高額取引アイテム レアもの 幻のトミカ

現在までに6億台以上が販売されているトミカ。
1970年にブルーバードSSSクーペ、コロナマークⅡハードトップ、トヨタ 2000GTなど6車種が最初に販売されました。

玩具メーカーのタカラトミーが現在までに約900車種を発売し世界中で6億台以上が販売されました。
この星の数ほど世に出回っているトミカの中には驚愕するほどプレミアがつく製品が存在します。

販売当時、180円だった商品が10万円を超える価格で取引されていることはほんの序の口。昨年はオークションに幻といわれていたクラウンのトミカが出展され、163万円という驚きの値段で落札されました。

1970年から販売しているトミカは販売していた時期やシリーズによりパッケージが異なります。
コレクターは商品の販売時期やシリーズを「黒箱」「青箱」「赤箱」と箱のカラーで判別しますが、現在廃番となっている「黒箱」「青箱」には高値がつく商品が多い様です。

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記念すべきトミカの1作目としての1台、トヨタ 2000GT。とくにレアカラーの赤は20万円以上の値がつくこともあるようです。
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「黒箱」の家畜運搬車トミカは家畜のフィギュアがなくなりやすいため、高値で取り引きされるらしいです。状態が良ければ2万円以上で取り引きされることも。

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「青箱」は白地に青色のパッケージで1976年から1988年まで生産された外国車シリーズ。写真はロールスロイス・ファンタムⅥで、ボディカラーが金色だと1万円以上で取り引きされている様です。

欲しいというニーズに対して市場に出回る数が少ない限定モデル。これは中古車でも同じことが言えると思いますが、特にコレクター人気が集中するのが限定販売品。イベント会場でしか購入できない製品や台数限定で販売されたシリーズ物には高値がつく傾向がある様です。
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2015年の東京オートサロン会場で限定販売されたトヨタ 86My Style。最近の商品ですが、5,000円ほどで取引されている様です。

こちらは通称“香港トミカ”。
1970年に発売後、すぐに爆発的な人気を得たトミカは国内生産が追いつかずに香港の工場に生産を委託しました。しかし塗装のクオリティが低く、ハンドルのサイズが国内製品に比べ大きいなど、国内生産品と比べ質感が大きく劣っていた為早々に生産が打ち切られたという曰く付きのトミカです。

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1971年から発売された香港トミカはわずか6車種。

ホンダNIII360 / カペラ ロータリークーペ / トヨタ スプリンター 1200SL / コルト ギャラン GTO-MR / ニッサン セドリック / ダットサン 1300トラック

絶対数が少ないことで希少価値が出た香港トミカ。当時180円で販売されていた三菱ギャランGTO-MRは、現在ファンの間では10万円以上の価格で取り引きされているそうです。

「全部集める」を目標にしているコレクターにとってはかなり高いハードルのようですね。

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電子回路の実習用教材 電子ブロック 1965年

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電子ブロッとは、あらかじめ電子部品や配線が組み込まれたブロックを並べることで電子回路を組んで実験が行える電子玩具です。初期には象牙色のブロックを並べてゆくDRシリーズ(1965年発売)と、半透明なブロックとピンを刺して配線して行く廉価版電子ボードのSRシリーズ(1968年発売)を発売し大ブームとなりました。

その後、商品はブロックの抜き差しが小さな子供でも容易なSTシリーズ(1971年発売)へ進化。学研との業務提携後にSTシリーズをさらに進化させ、よりファッショナブルになったEXシリーズ(1976年発売)でブームは最盛期を迎え、上位機種EX150では、150の電子実験を行うことができました。なお、EXシリーズの最上位機種はEX150にシンセサイザーユニットを同梱して31の回路図を追加したEX181であり、さらにFMユニットが追加で販売されているので、回路図の数は計191回路となります。

1981年に発売されたFXシリーズを最後に一旦生産が打ち切られました。FXシリーズには基礎回路65+マイコン回路100[1]のFX-マイコン R-165と、基礎回路65+サウンド・クロック回路80のFX-メロディ&ウォッチが存在します。マイコンユニット、クロックユニット+サウンドブロックがそれぞれ別途販売されていたので、FX-マイコン R-165にクロックユニット+サウンドブロックを追加、もしくはFX-メロディ&ウォッチにマイコンユニットを追加することにより、基礎回路65+マイコン回路100+サウンド・クロック回路80の合計245回路の実験ができました。

2002年にEX150の復刻版が発売され、さらにその復刻版オリジナル拡張キットとして「拡張キット光実験60」が発売されました。 EXシリーズは、A4程度の大きさの本体に48の差み口があります。46のブロック(トランスとキースイッチはブロック2つ分の大きさ)には、14種類の抵抗器、2種類のダイオード、8種類のコンデンサ、2種類のトランジスタ、5種類の配線専用ブロック、およびコイル、ランプ、トランス、キースイッチが含まれる。これらのブロックを48の差込口に差込み、回路を形成する。作成できる回路には水位報知器、うそ発見器、明るくなると鳴るフォトラジオなどがあります。

2009年6月には大人の科学マガジン vol.24 の付録としてFX-マイコン R-165 のマイコンユニットを再現し外部入力を省略した4ビットマイコンGMC-4が発売されました。

2011年11月には大人の科学マガジン vol.32 の付録として電子ブロックminiが発売されました。ブロックはEXシリーズと同じ大きさで互換があり、5×5=25個の電子ブロックと50種類の実験回路が組め、その他にこの電子ブロックmini2組でできる回路や、製品版EXシリーズのブロックを追加してできる作例も紹介されています。

類似品として、ドイツのブラウンがドイツ国内で発売していたLectronという電子ブロックがあります。


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懐かしの映像が蘇る! 8mm&VHSビデオを手軽にデジタル化できる「アナレコ」

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「アナレコ」は、8mm・VHSビデオテープをデジタル化できるキャプチャーデバイスです。通常、ビデオテープをデジタル化するにはパソコンが必要ですが、これがあればいりません。ビデオデッキをつないでボタンを押すだけで、SDカードやUSBメモリに映像を保存できます。

また、手ブレ映像を補正する機能や、720×480ピクセルの動画を1280×720ピクセル相当の解像度にアップする「超解像再生機能」を搭載。昔の記憶が鮮明に蘇ります。

保存ファイルはMP4形式となっています。MP4形式に対応したSDカードスロット搭載のテレビならば、SDカードを直接挿入して再生可能。また、ダビングしたデータをSDカードやUSBメモリにコピーすることもできます。ダビングをダビングするって感じですかね。そのほか、録画された映像から音声だけを録音することも可能です。

参考定価は¥14,300  

中々のお値段ですが、思い出のつまった8mmビデオテープやVHSビデオテープを簡単にダビングできる優れものです。

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レトルトカレー 「ボンカレー」

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どこよりも早く、日本で誕生したレトルトカレーがお馴染み「ボンカレー」です。 1968(昭和43)年に阪神地域限定で発売されました。1個80円で売り出されたレトルトカレーは、世界初となる市販レトルト食品でした。
レトルトとは高温殺菌釜を意味し、袋状の容器に密閉し、高温高圧で殺菌する保存技術の事をいいます。1950年代から米国で研究が始まり、その後NASAがアポロ計画で宇宙食にレトルト技術を採用したことから多くの食品メーカーがこの技術に着目。
そんななかいち早く商品化に成功したのが日本メーカーだったのです。当時、カレー粉やカレー缶詰の普及が進み、メーカー間の競争が激しくなっていた中、他社と違ったカレー商品を作りたいという思いからレトルト技術に着目。袋詰めで長期保存ができ、調理はお湯で温めるだけという、これまでにないカレー商品ができないかと考えたそうです。レトルト釜もなければ包装材もないゼロからの開発からスタートし、2年後には販売にこぎつけたというから技術もさることながら、並々ならぬ熱意と努力があった事と思います。今となっては当たり前の存在であるレトルト食品ですがNASAのDNAが流れていたんですね。





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雪印アイス「宝石箱」 1978年

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宝石箱(ほうせきばこ)は、かつて雪印乳業が販売していたアイスクリーム。発売期間は、1978年〜1983年。
白いバニラアイスの中に、カラフルでフルーツの香りが付いた氷粒が散りばめられているものです。その氷粒を「宝石」に、パッケージ全体を「宝石箱」に例えたコンセプトの商品です。

キャッチコピーは「バニラに 香りの宝石 散りばめて」。
1978年(昭和53年)の新発売時のテレビCMには、ピンク・レディーが起用されていました。CMソングは『キャッチ・リップ』(同年6月発売のシングル『モンスター』のB面)の、替え歌バージョンで、60秒版のCMもありました。その後、テレビCM出演者は大地真央に替わりました。
キャンペーンとして、実際の宝石(ルビー・エメラルド・シトリンの指環)などの抽選プレゼントも行われていました。
小売店(菓子店やスーパーマーケットなど)のアイスクリーム売り場には、「宝石箱」のパッケージをそのまま大きくしたような(アイスクリーム用の)スプーン入れ(販売促進品)が置かれていたところもありました。

発売時の定価は120円。大半のカップ入りアイスは「乳及び乳製品の成分規格等に関する省令」(乳等省令)上の分類は「ラクトアイス」ですが、発売当初の本品は「アイスクリーム」であり、カップ入りアイスの中では品質が高いものでした。このため内容量が同じ他のカップ入りアイスが50円で売られていた中、120円という高級品の部類に入る価格設定となっていました。種類が3種類から7種類に増やされた際、品質を「乳及び乳製品の成分規格等に関する省令」上の分類における「アイスミルク」とし、定価を100円に値下げしています。
天面(蓋)・側面ともに黒を基調とした、紙製の四角いパッケージ(四角錐台を逆さにしたような天面の方がやや広い形状で、角部分はラウンドになっている)。
当初のフレーバーのラインナップは、ストロベリー(赤)、メロン(緑)、オレンジ(山吹色)の3種類。その後、チェリー(紫)、モカコーヒー(茶褐色)、レモン(黄)、アップルカクテル(赤と緑のミックス)の4種類も登場し、合計7種類が存在しました。7種類となってからもスーパーマーケット・菓子店・パン店など小売では後発の4種類の販売は少なく、先発の3種類が多く流通していたようです。




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世界初のスマホ Nokia 9000 Communicator 1996年

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世界初といわれているスマートフォンをご存知ですか?
全世界に普及したAPPIEが発売しているiPhoneではありません。世界初のスマホはなんと1996年に発売していたのです!1996年と言えば、高い値段の携帯電話に変わってPHSが普及し始めた時期でもあり、DDIポケットがPメールサービスを開始した年でもあります。

その頃の携帯はモノクロ画面が一般的で、現在のようなカラーでタッチパネル操作という技術は一般化されていませんでした。もちろん今の携帯電話の様に多機能でもございません!

その中世界初のスマートフォンと言われているのが、ヨーロッパで発売されたノキア「Nokia 9000 Communicator」という機種です。これまでの1~9までの数字と*や#のボタンを縦に並べた縦型のタイプではなく、パソコンのキーボードを小型化して配置した横型携帯電話で、画面はモノクロ当然タッチパネルは搭載されていないモデルとなっています。スマートフォンという名前すらなかった時代に生まれたこの端末は、ビジネスユーザー向けのハイエンド端末としてユーザーからの高い支持を得ました。

 OSにはGE OS 3.0を採用し、内部ディスプレイは640×200ピクセルのグレースケール8階調表示。電話機能、FAXやSMS、Internet、電話帳、Note(メモ帳)、カレンダー、System、Extras(電卓/時計/着メロ編集)を各アプリケーションキーからワンタッチで呼び出すことができ、QWERTYキーボードを使った快適な文字入力の手段を提供するなど、外出先でのあらゆるビジネスコミュニケーションをこの端末1台で賄える、まさに「コミュニケーター」と呼ぶにふさわしい端末として登場しました。

 サイズは173(幅)×64(高さ)×38(厚さ)ミリ、重さ397グラムと、昨今の端末に比べるとかなり大きいですが、当時は他の携帯電話より多少大きいくらいであり、むしろ携帯電話とPDA機能を内蔵した唯一の端末でした。PCとの連携にも対応し、外部接続には赤外線かシリアルケーブルを利用する仕様となっていた。

 画面を開いた状態でのハンズフリー通話機能や、ディスプレイの右にある4つのハードウェアキーを利用したアプリ操作など、Communicatorシリーズの特徴となる操作性はこの9000がベースになっております。


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ベスパの歴史

ベスパ 、ヴェスパ(イタリア語: Vespa) は、イタリアのオートバイ・メーカー、ピアッジオが製造販売するスクーターです。

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最初のベスパは1946年に登場しました。スチールモノコックボディや、駆動部まで含めて一体化されたスイングユニットのエンジンは当時としては画期的でした。モノコック構造やタイヤ交換を容易にする前輪の片持ちサスペンションなどは航空機技術に由来するそうです。初期のベスパは戦後大衆への普及を意図した大衆車で、後にインド及び東南アジア各国でもライセンス生産され、広く使用されてきました。

1980年のパリ・ダカール・ラリーにはワークス・チームを組んでP200が4台参戦、うち2台が完走を果たしています。
ベスパ(スズメバチ)という名前の由来にもなった甲高い2ストロークエンジン+ハンドシフトによるマニュアルのエンジン音だったが、欧州の排気ガス規制基準(ユーロ・エミッション)への適合から、2000年代以降に登場したベスパは4ストロークエンジン+オートマ(Vベルト式CVT)の組み合わせを採用するようになった(50ccは2ストローク)が、外観やスチールモノコックボディ、前輪片持ちサスペンションといったベスパならではの伝統的特徴は継承されています。

日本においては、その独特のデザインと、映画、ドラマ等に使用された事により大変な人気を呼びました。中でも「ビンテージシリーズ」と呼ばれる排気量50cc - 125ccの小型車種は、旧式化によりイタリア本国での製造が終了したにも拘らず、日本国内での人気から特別に日本向け輸出製品として再生産されました。
ビンテージシリーズは、バッテリーレスや混合給油といった簡素な機構となっています。日本では、国産車と比較して旧式の機構から「操作が難しい」、「壊れやすい」イメージがありますが、本来耐久性は高いのです。
インドLML社はPXシリーズを以前からライセンス生産しており、日本国内でも「スターデラックス」として輸入販売されています。生産工場のストライキの影響で輸入は一時停止していたが、現在は125ccと150ccのラインナップで再開されています。

1953年公開の映画『ローマの休日』でグレゴリー・ペックが演じる新聞記者とオードリー・ヘプバーンが演じるアン王女が、ローマ市内を125ccに二人乗りで見物するシーンは、あまりにも有名ですよね。

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英国アラジン社 ブルーフレーム 石油ストーブの歴史

現代ではエアコン暖房やセントラルヒーティングのご家庭も多く「ストーブ」なるものを知らないお子さんも増えているようですね。なんだかちょっと寂しいです。優しい炎をみながら、お鍋を置いて煮物をくつくつ・・・ な~んていいですよね。
そんな「ストーブ」の中に私の大好きなアラジンストーブ(ブルーフレーム)をちょっとご紹介♪

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80年以上も基本的なデザインを変えずに作り続けられている、イギリスの伝統的なストーブで、青く美しい炎で優しくお部屋を暖めるのが特徴なのです。
そんなビンテージ臭がプンプンするイギリスのアラジンストーブ(ブルーフレーム)についてちょっと調べてみました。

こちらの公式サイトには、最新式のアラジンのファンヒーターなども掲載されています。

アラジン公式サイト 日本エー・アイ・シー株式会社

アラジン社(ブルーフレーム)の歴史

■1930年代の始め(昭和初期)米国アラジン社と英国の企業家ジャック・インバー氏との間に合弁会社英国アラジン社が設立されました。

当時の米国アラジン社は青災式バーナーを使った優秀な石油ランプを製造しており、米国は勿論、広くヨーロッパ各国に輸出していました。

英国アラジン社構想は、このランプを英国で製造し、ヨーロッパのみでなく、全ユーラシア大陸に販売するというものでしたが、この構想が軌道にのると同時に、英国アラジン社のジャック・インバー社長は、もしこのすばらしい性能の青災バーナーを暖房器具に使えば画期的な石油ストーブができるのではないかと考えるようになり、さっそくその商品開発のためのインバー・リサーチ社を設立し、ブルーフレーム石油ストーブの研究開発に着手しました。

長期の研究、開発のすえ完成したのが現在のアラジンブルーフレームの原型となった「I.R.」です。「I.R.」とはINBER RESEARCH社の頭文字です。このI.R.ブランドのブルーフレームも日本に相当輸入されています。この石油ストーブに絶対の自信をもったジャック・インバー社長は、インバーリサーチ社を英国アラジン社に合併させアラジンランプの広い販路にのせて世界的な拡販をはかるため、著名ブランドの“アラジン“をこの商品につけ、アラジンブルーフレームとしました。

英国アラジン社の創立が米英両国企業の合弁会社であったように、アラジン社の基本的な姿勢は、販路の確立した国や地域で、現地の優秀メーカーと手を組み、協力して会社を起こし、現地生産をして船賃などの余計な経費を省いた価格で販売することにあるのです。そのあらわれが、フランスアラジン社、オーストラリアアラジン社、メキシコアラジン社、イランアラジン社そして日本エーアイシー株式会社(旧、日本アラジン社)であるわけです。

■ 以上のような歩みを経て昭和50年から新たなアラジンブルーフレームが生まれたわけで、基本的なデザインはI.R.時代、シリーズ15時代から一貫して変わらず、一部の機構だけが厳しい日本のJIS規格に適合するように改造されてきたものであります。

たしかに他の石油ストーブに比べ、少々お高めの商品ですが、代えがたい魅力がアラジンブルーフレームには有るのです。

もし今、英国で同じ物を完全生産した場合、2倍近くの値段になるそうですよ。


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マニアライクなパーソナルコンピューター FM-7

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FM-7は富士通が発売した8ビットパソコンで、正式名称はFUJITSU MICRO 7。
当時、富士通はこのFM-7のヒットにより、シャープ、NECと共にパソコン御三家と呼ばれる様になります。

FM-7は1982年11月、FM-8の廉価版後継機種として発売されました。開発時の名称はFM-8Jr.(ジュニア)。FM-8と一定の互換性があり、アプリケーション、OS(CP/M、FLEX、UCSD Pascal、OS-9)、開発言語、ツール、周辺機器の資産継承が考慮されていました。FM-8を含んで、FM-7/8シリーズと呼ばれ、CPUの高速化等、実質的にはFM-8の性能が向上した後継機にあたります。

モトローラ社のMPU 68B09をメインCPUとグラフィックを独立制御するディスプレイサブシステムへそれぞれ搭載する2CPUのアーキテクチャを採用。FM-8と同様にオプションのZ80カードが搭載可能になっており、CP/Mや、Oh!Xで使われたS-OS"SWORD"など、Z80CPUベースのシステムを動作させることも可能になっています。このZ80カード用スロットは後にユーザベースで63C09を搭載するのにも使われました。F-BASIC V3.0がROMに搭載されています。漢字ROMカード、フロッピーディスクドライブはオプション設定でした。

発売当初のイメージキャラクターはタモさん。キャッチコピーは「青少年は興奮する」。

競合機種と同等のカラー表示にPSGがつき価格が安かったことから、FM-7は一定の普及をみて、富士通をパソコン御三家の地位にまで押し上げました。FM-7に端を発する低価格・高性能という路線はPCユーザ拡大に貢献し、'80年代パソコンブームの原動力となったのです。

FM-7が販売面で成功したのは本体価格が126,000円という低価格にも関わらず、当時の最新機能を盛り込み1クラス上のPCに匹敵または凌駕する性能を備えていたことにあります。同時期の人気機種は、NEC PC-8801(228,000円)、PC-9801(298,000円)、日立 ベーシックマスターレベル3(298,000円、後に価格改定)。学生を中心に人気があった「パピコン」ことNEC PC-6001(89,800円)やコモドールVIC-1001(69,800円)などの初心者PCのユーザー層にも大きな影響を与え、その成功から、FM-7を引き継ぐ形で、後継機が完全上位互換で作られていく形になります。

FM-8から引き続き、広いメモリ領域とVRAM領域の確保と処理速度向上のためにメイン(演算部)、サブ(グラフィック部)に独立した6809を搭載する贅沢なアーキテクチャを採用した。FM-8を祖とするこの設計は、マルチCPUとしてではなく、ホストCPUとグラフィック端末の関係にあり、サブCPUに処理の大きな表示周りの作業をさせることによるメインCPUの負担を軽減することに目的がありました。また、このグラフィックスサブシステムの実装では、キャラクターコードをハードウェア的にフォントに展開するテキストVRAMを持たなかったため、ハードウェアによるスクロールが使えない画面モードでは、当時の処理速度と比較して広大なグラフィックVRAMを再描画する必要があり、リスト表示などでのスクロールのもたつきや、カーソルを移動するとその通り道にあったグラフィックも消えてしまうという制限も引き継いでいます。

また、リアルタイムゲームが流行すると両システム間の転送容量に制限やタイムラグがあったこと、キーボードのスキャンを専用CPUに任せ、チャタリング除去なども行っているためにBREAK以外のキーでは押下した結果しか認識できず、ユーザの間ではリアルタイムゲーム向きではないとされ、議論になりました。
前述のとおり、任意のコードの実行を想定して設計されているわけではないサブシステムではあったが、サブシステムモニタ開発時、デバッグ用に実装されたメンテナンスコマンドの利用や、そのノウハウの蓄積、後述する内部技術資料の積極的な公開により、サブシステムで任意のプログラムを実行することで、描画の高速化や、高速にデータを転送するテクニックなどが考案され、ハードウェア的なキー入力の制限を除けば、競合機種と同等のゲームが発売されるようになっていきました。

他社と同様、富士通も本体添付品や別売マニュアルという形でBIOS、I/Oアドレス、ファームウェア、システムコマンド等を積極的に公開しました。また富士通の支援により、FMシリーズ専門誌『Oh!FM』(日本ソフトバンク、後の『Oh!FM TOWNS』)をはじめとして、技術評論社や工学社などから『活用マニュアル』などと呼ばれる良質なリファレンスマニュアルが多く出版されまし。またショウルームやサポートセンター経由では、内部技術資料なども必要に応じて比較的簡単に入手できました。

回路設計の問題としては、同等の音源を搭載した他機種に比較して、サウンド出力にデジタル回路からリークしたノイズも多く、音割れも見られました。

1985年、スペインのSECOINSA社という富士通に近い会社より FM-7 が販売されています。

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ファッションラジオToot-a-Loop radio 1970年

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1970年頃、ポータブルラジオはスクエアな筐体がほとんどで、市場は

飽和状態だった。 そんな中、ファッションラジオToot-a-Loop radio

シリーズは、ラジオをファッショナブルなオブジェのような感覚でデザ

インし、成功を収めた。最初のR-70は、1970年の日本万国博覧会の

記念商品。前年にアポロ11号が月に着陸し、宇宙時代の到来と言わ

れた時代で、未来をイメージさせる球体のボディに、チューナーメータ

ーを大胆にくり抜いたデザインで大ヒット商品となった。若者の間にポ

ップカルチャーが浸透しつつあった時代でもあり、以後、遊び心にあふ

れたラジオがシリーズ化された。1972年のR-72は、リング状にして

腕に巻きつけて携帯でき、ねじるとチューナー部分が現れる楽しい

デザインだ。 もっぱら機能主義、合理性を重視していた日本のプロ

ダクトデザインにおいて、遊び心や楽しさもまたデザインの大切な要素

の1つであることを示したシリーズである。



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世界初のゲーム機

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世界初の家庭用ゲーム機をご存知ですか??
その名もオデッセイ!!
日本では発売されていないゲーム機です

米国の家電メーカー・MAGNAVOX(マグナボックス)が開発しオデッセイの発売は1972年
宣伝にはフランク・シナトラまで起用された。
オデッセイがマグナボックスにライセンス供与される事で一時的にサンダース・アソシオエーツ社も収益を上げた
しかし、当時の宣伝内容、および人々が家庭用ゲーム機につい
て全く知らなかった事が理由で「マグナボックス社のテレビでなければ遊べない」と思われてしまった。
そのため、失敗しない程に売れたもののヒットにまでは行かず、1974年には生産を終了した。

世界初が必ずしも売れるとは限らないのである・・・
宣伝の仕方は大事ですね!

コントローラーはジョイスティックでなくパドルコントローラである。
一つのコントローラーにパドルが2つあり、上下左右の動きをサポート出来る。
現在の多くのビデオゲームに付いているボタン類は無い。ゲームの切り替えはスイッチでなくカードを差し込む。

このカードにデータ読み書き機能等はなく、ただ切り替え回線が入っているのみである。
一部のゲームは別売りカードを買わなければ遊べない様になっていた。

ゲームの切り替えが当時から可能なのは驚きですね!

この時代は当時のゲーム機では現在のゲーム機のように美しいグラフィックを表示できず、白いドットしか表示できなかったため、ブラウン管にオーバーレイというフィルムをつけてグラフィックの補完をしていたそうです・


 






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80年代のミッキーマウス パックマン

2010年5月22日に誕生30周年を迎えたバンダイナムコゲームス(当時、ナムコ)のアーケードゲーム『パックマン』。

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遊んだ記憶の有る方も多いと思います。記録的な大ヒットをしました。パックマンは海外でも非常に人気があり、「世界で最も成功した業務用ゲーム機」として何とギネスブックが認定する程の成功を収めました。家庭用ゲーム機や携帯電話、PCと様々な機器にナムコが把握出来ない程多数移植されて続けております。

日本産のゲームの中でも特に海外で成功した例として広く知られ、その知名度から「80年代のミッキーマウス」というとんでもない異名を持っています。日本よりも海外で根強い人気を誇り、1982年にアメリカで『ザ・パックマンショー』としてアニメ化され、最高視聴率56%を記録したそうです。

プレイヤーは4方向レバーを利用し、青い壁で構成された迷路の中でパックマンを操作する。迷路の中には性格付けされた4匹のモンスターが存在しており、これらモンスター達の追跡をかわしながらに迷路内に配置されたドットを食べ尽くすとラウンドクリアとなるゲームです。各ラウンドを通じて迷路に変化はなく、難易度が少し上昇した状態で次のラウンドが開始される。なお、ラウンド21以降は難易度が上昇しなくなるというものです。

パックマンがモンスターに捕まるとミスとなり、パックマンの残数がなくなるとゲームオーバーとなる。点数が10000点に達した際にはパックマンの残数が1つ増える。
モンスターは4匹存在し、各ラウンド開始時には画面中央に存在する「巣」に待機しています。一定時間ごとに巣から飛び出し、それぞれの縄張り(後述するパワーエサの置かれたエリア)を守るように行動を開始する。さらに一定時間経つと今度はパックマンを追跡し始める行動を取ります。これら2つの行動は一定時間ごとに切り替わる。前述したようにモンスターには性格付けがされており、パックマンの追跡時にはその性格に応じた行動を取るように設定がされています。また強い個性を象徴するカラーリングが施され、個々に名前とニックネームがつけられています。

続編としては『スーパーパックマン』『パックランド』『ミズパックマン』『パックマンワールド』『パックマン チャンピオンシップエディション』(パックマンCE)などが有名です。2001年にはパチンコにも進出しました。

現在、AppleのiPod,iPod touch,iPad、及び、MicrosoftのXBox 360向けにゲームアプリとして配信されています。


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誰もが知っている任天堂のファミリーコンピュータ 1983年発売

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任天堂のファミリーコンピュータ (Family Computer) は、昭和58年(1983年)7月15日に発売された家庭用ゲーム機です。通称ファミコン。知らない人は居ないんじゃないかと思うくらい有名なゲーム機ですよね。
ゲーム&ウオッチの事業を成功させた任天堂が、その利益を投入して開発した家庭用ゲーム機だそうです。販売価格は14,800円。当時は低性能だが安価なカセットビジョン(エポック社)が最も普及しており、他には海外製のゲーム機をローカライズした高級機が流通していました。
それらに比べて高スペックでありながら、14800円という低価格で大変な人気を集めました。その結果、“ファミコンブーム”と呼ばれるような爆発的な大ヒットを飛ばしたのです。
その人気は日本のみならず、85~86年に発売された海外版ファミコン「NES(Nintendo Entertaiment System)」により、世界規模の社会現象にまで発展しました。
世界のビデオゲームの歴史を語る上で、絶対に欠かすことのできない存在となっています。
本体にカセットを差し込むことにより、遊ぶゲームを入れ替えることができるという画期的なシステムも魅力の一つです。
接触が悪いときはカセットに息をフーッと吹きかけたりするのがお約束でしたよね。でも実はこの行為、あまり良くないらしく機械を傷めてしまうらしいですよ。

AV仕様ファミリーコンピュータ
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1993年(平成5年)12月1日には新型機AV仕様ファミリーコンピュータが発売されました。これは、知らない方も結構いらっしゃるのではないでしょうか。

この名称は他のゲーム機ではすでに主流となっていたコンポジットビデオ出力によるテレビ接続が可能となったことに由来するそうです。製品の箱には AV仕様ファミコンの略称が記載されておりました。さらにテレビCMで用いられたニューファミコンの通称もあり、一般にはこの名で呼ばれることが多いです。

当初は10月をメドに発売される予定でしたが、RF出力からビデオ出力への仕様変更により延期されたそうです。北米にて先行発売されたNES2では逆にAV出力が省かれ、RF出力のみとされました。

AV仕様ファミリーコンピュータはコストダウンを図った廉価機として発売されたものの、ディスクシステムなど従来の周辺機器もほぼ全て使用できるなど取り扱いも容易となったことからレトロゲームの愛好者からは珍重されました。中古市場ではAV仕様ファミリーコンピュータの方が台数が少なく高値な場合が多いです。

ACアダプタとRFスイッチは旧型機やスーパーファミコンとの共用が可能との理由で別売とされました。コントローラやAVケーブルなど旧型機に使用できないAV仕様ファミリーコンピュータ専用周辺機器にはNEW FFマークが付けられました。任天堂以外から発売されたNEW FFマーク付き周辺機器にはNewホリコマンダー等があります。

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